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磯貝 健
鉛筆画 |
画廊開設から4回展、磯貝建のドウローイング作品が作者のニューヨーク●デビューとして発表される。前3回の伝統美に由来、または影響された作品群とは背反し、今回は今の文化から生まれたイメージの作品展であり、その今の表現の意義を観る人に問う展示である。アフリカから南米、モンゴールから北米を旅し自分を見つめ続ける作家の未発表、否、発表を今まであえて避けてきたと思われる作品と此処で実際に接することえの期待は大きい。
各々の作品のほぼ中央にはTVアニメの影響が明らかな単純化されたキャラクターが左か右に7●3の方向でポーズをとっている。背景も単純化された表現で各々キャラクターが存在する状況を伝達する。全て作品はHBの鉛筆で描かれ、大きな作品(663 x 1042 mm)完成には2000時間以上を要したと聞く。
このような長時間の制作えのコミットメントは、このキャラクターに作者が如何に強く取り付かているかを示すのだろう。しかし、磯貝は「表現したいのは表面上の形ではなくその裏にある精神性である」と云う。とすると、その裏にある精神性とは一体何だろうかと云う大きな疑問が残る。実際に作品を見れば解ると作家は願う。かつて、アーティストの仕事は仏画を描き「悟りの世界」を、聖画を描き「神の世界」を表現することだった、と思い出す。
描画に能率的な画材を使わずHBの鉛筆を使うのは、あえて日常的な素材を使って表現しようとした1960年代後半イタリアのアルテ●プーベラの影響なのだろうか。当時ミニマム●アート、コンセプチュアル●アートの描く行為の積み重ねだけで画面が成立しイメージが無い作品群に傾倒して、制作することを「作品に係わる」と日本語表現していたBゼミの若いアーティスト達を覚えている。HBの鉛筆は否応なく制作時間を引き伸ばす。この言葉の表現するところに最適だった。以後、鉛筆画が多作された。
磯貝の作品は色々な面で今の日本での制作環境の一端を明確に示し、芸術、社会上から共に興味深く観ることが出来るだろう。
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