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彩色銅版画展
宮崎雅子
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Gallery NYCoo4月は宮崎雅子の彩色銅版画展の開催です。
ここに小評を書き、御案内いたします。
関西で制作発表している宮崎は、自身の絵画教室で児童画の大胆な発想と色彩感覚に啓発されたと云う。この絵画教室開設から約10年後の1993年、自分の再教育のために大阪市立美術研究所に入所し、以後作品発表を続け受賞を重ねている。
ニューヨーク初である今回の個展出品作は、視覚に憶えのある形象 (attractersと言える)がコラージュされた、多色平面の画面構成を主体としており、エッチング、アクアチント、リフト痺Oラウンド技法を用いた銅板画である。これは、当画廊で始めての版画展のため期待がもたれる。
「版画の面白さは、刷ってみるまで、どんな仕上がりになっているか分らないところ。紙を引き上げる時のハラハラ、ドキドキがたまらなく好きです」と宮崎はいう。この版画特有の醍醐味は、作る者を未だ識らない領域に導いてくれ、多くの作家がその利を得てきているところにある。
また反面、それ故に版画家のプロセスへの偏重は、しばしばイメージをつくることへの積極的態度に欠ける結果を招くことがある。この傾向は日本でもアメリカでも同じことがいえるだろう。
しかしながら、版画制作における作家の思想、そして社会的な版画家への認識のありかたは日本とアメリカではおおいに異なるようだ。
浮世絵の伝統、創作版画運動、60ム70年代の前衛版画、日本版画協会と日本大学版画学会、は日本の版画界が誇れるものだ。対してアメ リカでは、19世紀末までの庶民的手彩色石版画(Currier & Inves)、エドワードホッパーからWPA時代に続く版画、版画ルネッサンスと云われた60年代と以後の多数の版画工房、ポスト痺c_ニズムの中でのモノタイプ、と独自の変遷を経て、当然のことながら自ずと制作の思想と、社会的認識は日本のそれと違うのである。
ここに相互交流の必要性が生まれる。芸術家個人としての宮崎は、自分の作品をこの異なった環境の壁に架け、それを見る意義があるのだ。そうすることによって、双方共に今まで見えなかったものが見えてくるであろうし、そして次の方向への指針を見出しえるだろうからである。
こうした観点からも、是非画廊来訪者の各々の目を通した御意見、御感想を拝聴したく願っております。
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